「回復語録」(アルコール依存症からの回復)

(以下はアルコール依存症から回復しつつある患者さんの語録や経過です。患者さんからの許可は得ていますが、プライバシーに抵触する部分については表面的な点で多少の変更があります。)

「また酒を飲んでしまいました。」――このような発言は実は回復の第一歩なのです。

「いつまた酒を飲むかわかりません。」――聞く方にとっては何となく不安な発言ですが、このような発言も断酒と回復を示すサインだと思います。

「断酒を続ける自信がありません。」――正直な言葉で、このようなことをいう人が案外と断酒会と縁を結んで、見違えるような変化を遂げます。不思議なことですが、「もうきっぱり止めました」とか、「断酒の自信があります」とか、「飲みたいという気持ちがおこりません」などと言う人に限って断酒は長続きしません。



 Nさんのこと‥‥

 ある会社の支店長だった彼は、夜な夜なネオン街で従業員と酒を飲み、客と飲み、そして家へ帰ってもまた飲んでいました。糖尿病が悪化し、インスリン注射が始まっても、節酒しなさいと医者(実は私)が説教しても、糖尿病や肝臓の障害を示すデータは悪くなるばかりでした。

 肺炎を起こし、不整脈の発作を起こし、鼻血が止まらずそのたび入院したのですが、退院して少したつとまた飲酒が始まりました。鼻血で入院した頃から、私は彼がアルコール依存症であることに気づきました。彼の実際の飲み方は「節酒不能型」で、時に「連続飲酒」といって、飲まず食わずに酒を飲むことも知りました。ある時、彼が来て「やせてきたのに、おなかが膨らんだ」と言いました。私はすぐ超音波検査をして、おなかに腹水がたまっていること、それが肝硬変によるものだと知りました。彼はまだ酒を飲み続けていたのです。私はなぜここまで健康を害して彼が飲み続けるのか理解できませんでした。そしてこれ以上、彼にお説教をし続けても無駄であると思いました。

 私は心の中で、「もう勝手にしろ!飲んで死ね!」と叫んでいました。実際には何も言わず、それからあとも彼が受診しても、ほとんどなにもしゃべりませんでした。

 それからでした。彼の検査値はどんどん正常化し、腹水も消え、顔色も良くなっていったのです。ついに私は彼に尋ねました。「酒は飲んでいるの?」「止めました。」「どうして止めたの?」「先生が止めろと言ったから。」「それはずっと前のことでしょう。あの頃止めなくて、なぜ今になって止めたの?」「今まで、病院に入院して、退院するときには、今度からは節酒しようと思っていました。けれど今度、やっぱり節酒はできないと分かりました。それで一滴も飲まない断酒にしたんです。」

 彼はその後、ネオン街へいくのは相変わらずでしたが、見事に断酒を続け、取締役になり、仙台を去りました。しかし仙台へ来る度に医院へ顔を出し、「断酒を続けていますよ」と報告してくれました。ある時、足がシビレて整形外科を受診して、タバコを止めるように言われたそうです。その時、彼は医師に「酒はどうでしょうか」と聞いてみたそうです。「酒は少々なら飲んだ方がいい」と言われたそうです。「それで飲んだの」と私が聞くと、「イヤーもう酒はこりごりです」と言って、帰って行きました。

(平成11年6月1日記)   



 Kさんのこと‥‥

 おだやかな物腰のKさんに、深刻な飲酒問題があることを知ったのは、ある雨の日の夜だった。私が傘をさして歩いていると、向こうからフラフラして傘もささずにびしょ濡れになりながら歩いてくる男性がいた。目はうつろで、何ごとかつぶやいていた。それがKさんの飲み方だった。飲まない時期が続くのだが、飲むと泥酔してしまい、結局、入院する。車にはねられたこともあった。

 ある夜、彼の奥さんが往診を頼んできた。行くと、玄関の戸のガラスが割れ、家の中はメチャメチャになっており、コタツに彼が寝転がっていた。私は「しばらく断酒していたKさんが、なぜ今日、急にこれほど飲んだのか?」と尋ねた。奥さんが、ささいなことでKさんに苦情を言い、くさったKさんが家を出ていき、酒を飲んで勢いをつけて帰ってきて、戸を蹴ったりしたらしかった。当時、Kさんは断酒会へ参加し始めていた。私は、奥さんも彼に協力しなかったら、彼の断酒は続かないだろうと言った。

 以来、Kさん夫婦はそろって断酒会に行っている。もはや断酒継続は8年になり、家は新築し、断酒会の全国大会などを利用して夫婦一緒の旅を続け、全国すべての都道府県を旅行してまわった。本当の話である。

(続く)   

  

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