「適正飲酒という概念は適正か?」


 平成6年12月、全国都道府県の保健所などの公共機関や医療機関へ、あるポスターが配布された。大きさはB4サイズのコピー用紙2枚分の大きさである。濃い緑色を背景にして、中央に大きく、「青年よ大志をいだけ」の言葉で有名なクラーク博士の銅像と台座が橙色でシルエット調に描かれている。博士の手にはビール瓶のようなものが握られ、台座には「未成年者の飲酒は法律で禁じられておる」と小さく書かれている。

 しかしこのポスターが未成年者飲酒禁止法の宣伝ポスターではないことは、ポスター左上に、白抜きで大きく書かれた「成年よ適酒(正飲)をいただけ」という標語を見ればすぐ分かる。いわゆる「適正飲酒」の宣伝ポスターなのである。下に「国税庁・厚生省・(社)アルコール健康医学協会」とあるので、三者が共同で作って配布したものだが、中心となっているのは、適正飲酒を推奨しているアルコール健康医学協会(斉藤茂太氏が会長)であろう。橙色の小さな字で第一条から第十条まで、適正飲酒の具体的内容、つまり「このように酒を飲んでいれば適正な飲酒です」ということが書いてある。まずその十ケ条を列記し、小生の感想・批判を書かせていただく。

────────────適正飲酒十ヶ条────────────      

一、 笑いながら共に、楽しく飲もう
二、 自分のペースでゆっくりと
三、 食べながら飲む習慣を
四、 自分の適量にとどめよう(日本人の平均適量ビール1〜2本、日本酒1〜2合、ウィスキーダブル1〜2杯)
五、 週に二日は休肝日を
六、 人に酒の無理強いをしない
七、 くすりと一緒には飲まない(睡眠剤、安定剤、糖尿病薬等)
八、 強いアルコールは薄めて
九、 遅くても夜十二時で切り上げよう
十、 肝臓などの定期検査を

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 適正飲酒とは日本人に多い晩酌のことかと思ったので、各項目を読むと、「自分のペースでゆっくりと」、「食べながら飲む習慣を」、「週に二日は休肝日を」、「くすりとは一緒に飲まない」と書かれている。つまり「マイペースの、夕食前後の、連日に近い飲酒」、つまり晩酌のイメージが浮かんでくる。人物イメージとしては、「連日の飲酒で肝臓などに障害があり、何か慢性疾患を持っていて、医療機関から薬の投与を受けている。しかし飲酒は止めていない」という、不健康な人物イメージが浮かんでくる。

 まず第一条。酒を笑いながら飲もう、とは標語に入れるほどの意味があるとは思えない。

 次に第二。飲むペースが早いのはアルコール依存症の一つの特徴とは言えると思う。しかしそれを「ゆっくりと」飲む心掛けをしたとしても、多く飲めば何の意味もない。標語九のように、12時まで飲み続けても適正飲酒とは、困ったものである。

 三、「食べながら」飲めば、「飲む習慣」の方には問題ないとでも言いたいのか、巧妙な「飲酒奨励標語」である。

 四、日本人には体質的に酒をあまり飲めない人々が約4割いる。均一でない集団を無理やり平均化してしまうのは非科学的である。このような考え方が「このくらいの酒を飲めないのか」という酒の無理強いを生むのである。なお他の資料には「2,3合」とか、「3合までが限度」などと書かれている。

 五、休肝日を設ければ肝臓障害は起こらない、あるいは肝臓障害がある人が休肝日をもうければそれが良くなるという誤解を多くの国民が持っている。それはまさにこの標語が流布された結果であると思う。それが厚生省公認とは、無責任な話である。

 六、この標語くらいでしょう。、まともなものは。

 七、夕食前後に定期的に薬を服用している人は、実際にはどうすればいいのか。薬をとるのか、酒をとるのか、時間をどのくらいずらすのか。具体的なことは何も分からない。結局、薬を酒で流し込まなければいいような感じを受ける。

 八、濃い酒を少量という人々もいるでしょう。まるでS社のウィスキーの水割りを推奨している感じである。

 九、先に指摘したように、これが厚生省が推奨する適正な酒の飲み方なのでしょうか。酒類メーカーもなしえない「お墨付き」である。標語二と合わせて考えると、夕食から延々と酒を飲んで、これも適正飲酒だとすると、困るのは妻や子ではないでしょうか。

 十、肝臓に障害がなければ飲酒には問題がないとでもいうのか。これも多くの国民に誤解を与えている標語である。 

 小生の診療所の酒好きの患者さんたちにこの十ヶ条を読んでもらったところ、一人の患者さんに、「笑いながら、夜、十二時まで食べて飲んで、ビール1、2本ですむもんですか」と、こちらが笑われてしまった。

 小生は日頃、軽症、重症のアルコール依存症の患者さんたちの飲酒に関する自己弁護や思いこみを聞く機会が多い。適正飲酒の十ヶ条は、一見、何でもない常識のように感じるかも知れないが、アルコール依存症の人々を深みにはまらせる自己弁護や思いこみを助長する悪い面を隠していると思う。

 クラーク博士の銅像を用い、「青年よ大志をいだけ」という言葉をもじったのは広告会社なのか、アルコール健康医学協会なのか。たとえ広告会社の担当者のアイディアとしても、それを採用したアルコール健康医学協会の責任者がいるはずである。このポスターは歴史的事実を歪め、日本のクリスチャンやクラーク博士を侮辱している。ポスター制作に関わった人々、会社の名前を明らかにして、その枚数や配布先、費用などの事実関係を知りたいものである。なお適正飲酒(英訳:safe and responsible drinking) という概念は、平成3年4月に東京で開かれた「アルコール関連問題国際専門家会議」で海外から参加した専門家に批判され、勧告の中で、「適量飲酒者にも飲酒問題が起こりうる」と明記された。しかし、アルコール健康医学協会はこの十ヶ条をいまだに宣伝し、このポスターの配布を続けている。

 適正飲酒十ヶ条には臓器障害を防止する程度の意味しかない。その背後にひそむアルコール依存症こそが多大な障害をもたらす問題なのである。しかし酒メーカーにとっては、酒を買ってくれる人が、健康な人でも、生活保護を受けている人でも、ホームレスの人でも、同じ消費者で同じ価格で買ってくれる消費者なのです。そしてアルコール依存症の人は買うことを止めることができない「Heavy User」、つまりお得意さんなのです。

 国税庁や厚生省やアルコール健康医学協会は、なぜ知恵をしぼってここまで巧妙な飲酒奨励をして、酒類メーカーに媚びる必要があるのだろうか。飲酒と健康について、もっと科学的で有効な啓蒙活動ができないものだろうか。背景に官僚のアルコール健康医学協会や酒類メーカーへの天下り問題があるとしたら、今マスコミを騒がせている薬害エイズや住宅専門金融の問題と同根の問題であると思うがいかがだろうか。

参考文献:
「ポスター『成年よ適酒をいただけ』と適正飲酒十か条について」加藤純二、『宮城県医師会報』第606号(平成8年1月)に少し加筆したもの。(この記事はその後、依頼されて熊本県医師会報にも掲載された。)

「休刊日 はさみ前後は 多めにし」(山形・一兵)
  毎日新聞 万能川柳 平成19年1月19日

  

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