トリアゾラムとアルコール:その依存症について?


 1)内科診療所の現場から
 
 内科診療所の外来でアルコール依存症(以下、ア症)は決して少なくない疾患である。小生の診療所での統計では、男性初診患者の約1/3に問題飲酒(KASTが0点以上)があり、女性はその約1/6の頻度であり、外来の総初診患者の約10%に問題飲酒があった。約10%という数値は名古屋大学医学部の伴信太郎教授が岡山県内の内診療所との協力で行った調査の結果(平成12年6月、第22回日本アルコール関連問題学会抄録集)とほぼ一致している。
 問題飲酒は軽症を含めたア症と考えられる。内科では重症ア症をア症という認識なくして診療を長期にわたり続けていることが多い。それは専門精神科にたどりつくア症患者の既往歴を調べた結果でも明らかである。
 初診の時点で重症ア症を疑うサインの一つとして、小生は精神安定剤、特にそのうちの抗不安薬の常用・多用をあげる。抗不安薬とはかつてマイナートランキライザーと呼ばれていたもので、依存、乱用、離脱、せん妄、痴呆、健忘、精神病性障害、気分障害、性機能障害、睡眠障害などの起き方がアルコールとよく似ている。抗不安薬を常用している習慣的飲酒者であれば、重症ア症を疑わなくてはならないと思う。また自助グループに参加しているア症患者にも、抗不安薬を常用している人々は一般人に比べると多い。これには患者側の問題や必要性もあろうが、医療側が安易に抗不安薬を処方しているという面もある。時には多剤への依存症に陥った患者を、薬剤を抜くために専門医に紹介することもある。合法的に処方される医薬品なので、これを処方薬依存症と呼ぶが、その中で数も問題も多い抗不安薬はトリアゾラム(先発商品名・アップジョン社、現ファルマシア社のハルシオン)である。

 2)ハルシオン・スキャンダル
 
 トリアゾラムはベンゾジアゼピン系の睡眠剤で、服用後、約15分で入眠効果が現れ、半減期が2〜3時間と短く、超短期作用型睡眠導入剤である。米国で1976年に新薬申請され、82年に承認された。承認に時間がかかったのは記憶喪失、筋肉運動失調症、混乱などの副作用が多く、繰り返し服用で効果減少、中止でリバウンドが出るなどの問題が指摘されたからである。欧州諸国では発売後、副作用報告が続き、オランダは77年に承認したが、79年8月に承認を一時停止し、ベルギー、ルクセンブルグもそれにならった。オランダは80年1月、承認を一旦取り消し、その後、警告付きの販売となった。イギリスは78年に承認したが、91年、後に述べる会社の臨床試験の不正が明るみに出るとすぐ、同年10月に販売中止とした。フランスは87年、0.125mg錠のみ、一日最大0.25mgと制限した。
 この医薬品に関するスキャンダルとは臨床試験における不正で、それは次のような殺人事件と裁判(ニューズウィーク誌91年8月19日)で有名になった。ユタ州の町・ハリケーンで57才のイロ・グルンバーグという女性が83才の母親を8発の弾丸で銃殺した。彼女は第2級殺人で起訴され、ソルトレーク市の精神病院で精神鑑定を受けた。精神科医は「トリアゾラムの精神障害による殺人事件」とし、起訴は取り下げられた。その後、この女性はアップジョン社を相手どり2千百万ドルの賠償を求める民事訴訟を起こした。会社は裁判で当初、非を認めなかったが、臨床試験データの提出を求められると態度を変え、和解(内容は秘密で、賠償額は公表なし)した。
 その後、臨床試験の一つに、囚人30人を被験者としたものがあり、約1/3にパラノイア、うつ病、記憶障害などが認められ、13人が副作用のため、試験から脱落していたのに、最終報告にそれらのことが記載されていなかったことが判明した。さらに米国食品医薬品局(FDA)の調査によって、別の臨床試験が完全なねつ造であったことが発覚した。事件が有名になったあと、英国の他、デンマーク、ノルウェーでは販売中止、オーストラリアでは医療保険給付の対象からはずされた。
 日本では医療機関での使用に大きな変化はなく、0.5mgの使用がいまだ可能である。現在では後発品が9社から発売され、トリアゾラムの世界総販売額の約6割(75億円)が日本で販売されているという(欧米での使用制限については、TIP誌、91年6巻11号)。

 3)神経症性不眠症と乱用
 
 うつ症状の一つとして不眠がある。この不眠はどちらかというと中途覚醒か、早朝覚醒である。トリアゾラムは即効性と超短期作用が特徴であるから、うつ症状の不眠には適しておらず、入眠障害に適している。入眠障害は、たまたま寝られないというだけで、翌日の夜には寝られるという位の、不眠を気にするだけの神経症的な人々に多い。しかし入眠障害を訴えると、医師が簡単にトリアゾラムを処方し、本来は薬が不要な人々まで、トリアゾラムを使うことになる。そして結局は常用、つまり処方薬依存への道を歩むことになる。
 抗不安薬は1回の処方の制限日数は14日分である。月に2回の処方で毎日服用することになるのだが、現実には月14日のみの処方が多い。これは1日0.5mgまでが認められているので、半分ずつ服用して28日もたせることが可能なのである。また複数の医療機関を廻って処方を受ければ、規定量の数倍の薬を手に入れることも可能である。1錠薬価は6.9〜20円で、請求事務上、院内薬局であれば、医薬品の名前が出ない仕組みになっている。「フトンに入っても寝るまでに時間がかかる」との言は薬物乱用者間の医療機関でこの薬を入手するノウハウらしい。トリアゾラムの即効性はアルコールと同時に服用することで増強され、薬物乱用者の間では「トリップ」ができると乱用され、この医薬品の盗難や闇取引、密輸などの問題が起きているのは周知のことである。
 日本ではトリアゾラムの副作用報告は文献上では1987年から2000年まで、198の症例が報告されている。健忘、せん妄、異常行動、意識障害、痙攣、中毒、横紋筋融解症、禁断症状、記憶障害、離脱症状などである。しかし実際には副作用を患者自身は判断できないか、医師が薬剤の性格を理解していないため、表面化しない症例が相当数あると考えられる。ア症と同じく、処方薬依存症でも、被害は本人だけではなく、家族など関係者にも及ぶものである。トリアゾラムに限らず、抗不安薬の処方薬依存症の拡大を放置しておいていいのだろうか。

 4)減量・中止と離脱症状
 
 トリアゾラムの添付文書には、重大な副作用の1番目に「薬物依存、離脱症状」が記され、「投与を中止する場合には徐々に減量するなど慎重に行うこと」と書かれている。実際的に減量・中止をするのは、患者とその家族と医師との間に信頼関係がないと不可能である。ア症の断酒と同じである。ゆっくりと減量しても、離脱症状が発現しない訳ではない。増量、復活を望む患者の要求は強く、家族のサポートが必要だし、本人への説明は非常に難しい。不安にかられ、症状が悪化したと思う患者は薬を処方してくれる医師の方へ逃げていく。ア症では急激でもとにかく断酒し、最終的には自助グループに参加するまで、久里浜方式のような治療モデルがあるだけ楽である。むしろ抗不安薬の中止の方が、複雑でやりにくいと思う。ア症の離脱時に用いるジアゼパムはトリアゼパムの離脱症状を防ぐのに必ずしも有効でないという。
 このような抗不安薬が内科でたやすく使えるような状況はおかしいと思う。医療側が、内科では使わないこと、複数の医療機関からの入手による限度を越える服用や多剤処方を防ぐこと、重症例に数日だけの使用に限定すること、そしてア症患者への処方はより慎重にして、自助グループへの参加を重視するべきだと思う。

 5)自助グループの役割
 
 薬物の力を過信している日本の医療にとって、ア症者の断酒継続に効果がある自助グループの存在は重要だと思う。現代日本の核家族化を背景にして、家族間やコミュニティ内での交流不足があり、不安とそれに起因する身体症状は多い。その不安に便乗するかのように作られている処方薬依存症。ア症も根っこは同じだから、自助グループ活動は処方薬依存症にも有効な治療手段である。
 ア症の自助グループでは、飲酒にまつわる体験が語られる。ア症者は不可能と思いこんでいた断酒を実行している人を見る。断酒を継続する苦労話はそのまま聞く者の工夫に役立つ。酒を飲みたいばかりに無視してきた妻や子供の気持ちが語られ、それをア症者は自分の家族の気持ちに置き換える。家族は他の参加者の話を聞いて共感し力を得る。自助グループは薬に頼らない不安解消と安心の場である。自助グループとは薬物の使用に頼る医療と対極にある存在であろう。

 6)薬害としてのアルコール依存症
 
 アルコールを抗不安薬と考えれば、アルコール依存症は一つの薬害である。薬害とは効果と副作用とインフォームドコンセントの三つの要素で成り立つ。薬には効果だけを生むものはない。また強い副作用がありながら使わざるを得ないこともある。効果と副作用のバランスがあって、それを患者にインフォーム(説明)してコンセント(合意)を得て使うことで、多少の副作用は免責されうる。それが薬というものである。
 それならアルコールはどうだろう。アルコールは売り上げが6兆円の抗不安薬とみなすことができる。その金額は保険薬と大衆薬を合わせた全医薬品の売り上げに匹敵する。常時、2万人の依存症の入院患者とおそらくその10倍は越える入院経験者、200万人を越える依存症予備軍、年間1万数千人を越える救急車で搬送される急性中毒者がいる。肝臓障害の発生率一つをもってしても、新薬なら承認されることはないだろう。アルコールは人類が最も古くから服用している「副作用の強い」抗不安薬なのである。
 インフォームドコンセントの逆は偏った情報である。アルコールについては一方的な情報がテレビ、ラジオ、活字を介して流されている。医学的な情報を酒類関連企業が提供する時、企業が頼みとするのが、文化人や医者である。しかし企業がスポンサーになっている文化人や医師が、アルコールの副作用や依存性についての偏らない情報を提供することは期待できない。(平成14年3月、全日本断酒連盟の機関誌へ投稿したもの)

  

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