イスラムと酒
イスラムにおける食物禁忌は、まず、禁酒が良く知られている。酒がコーランで禁じられるには幾つかの段階があり、最初、それは人間に対する恩恵とされていた(16章69節)。次ぎに、酔っている者の礼拝禁止(4章43節)となり、さらに酒には利益と害悪があるが、害悪の方が大きいとなる(2章216節)。そして、最後に、酒は人間の間に敵意と憎悪をあおり、神を忘れさせ、礼拝を怠らせるサタンの業として全面禁止される(5章92-93節)。
典拠:「仏教・キリスト教・イスラム・神道どこが違うか」
(有)大法輪閣, 平成3年10月8日発行
ハムル
酒はアラビア語でハムル(khamr)という。ジャーヒリーヤ時代*1にイラクやシリアから、ユダヤ教徒やキリスト教徒がアラビア半島に酒を持ち込んだものとみられ、イスラム発生期にはメッカの住民はことあるごとに酒を飲むほどになっていたという。飲酒の結果、賭け矢(マイシル)遊びなど、様々な弊害が発生する。禁酒について何回か啓示を受けたムハンマドは、ついに全面禁酒の啓示(コーラン5章90〜91節)を受けた。酒は嫌悪すべきものであって、サタン(シャイターン:悪魔) の業であり信仰を妨げるものであるから、これを避けよ、という命令であった。飲酒はハラーム(禁断)であり、酒類の製造・販売も禁止された。
問題はハムルと呼ばれる酒の範囲であるが、第2代カリフ、ウマル1世がプドウ、ナツメヤシ、蜂蜜、大麦、小麦の5種を原料とした飲物をハムル(酒)と断じて決着をつけたと言われている。ウマル1世は「酒とは人智を曇らすもの」と言っており、以上の5種を原料としたものはもちろん、飲んで酔うものはすべてハラーム(禁断)であるとの考えが支配的になった。これを犯すと80回(奴隷40回)の鞭打ちに処すべきであるとしている法学派が大部分であるが、シャーフィイー派はムハンマドとアブー・バクルの慣行どおり40回(奴隷20回)の鞭打ちの刑を加えることになっているという。
- *1 ジャーヒリーヤ
- 「無知」を意味するアラビア語。イスラムに対比して用いられ、預言者ムハンマドに啓示が下る以前の、まだイスラムを知らないアラブの状態をいう。歴史用語としては、ムハンマドの時代に先行する約150年間のアラブ社会を指す場合が多い。
刑罰
古代のアラビアでは、犯罪を一種の汚れた行為とみ、この汚れを清めるのが刑罰だと考えていた。従って、服刑が清浄化を意味していたという。イスラム法(シャリーア)では、刑罰をハック・アッラー(神の権利)とハック・アーダミー(人間の権利)とに大別し、神の命に背いた犯罪に刑罰を科するのは神の権利であり、被害者またはその親族の要求があって刑罰を科するのは人間の権利であると見なした。イスラム法上、刑罰はキサース、ハッド、タージールの3つに大別される。
キサースとは報復の意味。イスラム以前には、報復(復讐)も無制限に行われていたが、イスラム時代には、コーランの規定に基づいて同害報復に改められた。
ハッドは、法が厳正に定めた刑罰である。これは絶対的であり、加減は許されない。飲酒などの罪に適用され、飲酒罪は鞭打ちの刑となる。
タージールとは懲戒、矯正の意味。コーランに名文をもって規定されず、裁判官(カーディー)が諸般の事情から客観的に判断し、最も適当と思われる刑罰に処しうるものである。
アラク、阿刺吉
アラクはナツメヤシの実またはブドウを原料としてつくられる強度の酒で、水を加えるとミルク状に白濁する。原料の種類や産地および醸造前後における手入れの仕方によって、アルコール度、味、色、香りが異なる。アラクは古来イラクとシリアが産地として知られ、エジプト、スーダンおよび北アフリカ諸国でも原始的な方法で小規模ながら製造されていた。現代になって、商品として大量に製造されるようになったが、中でもナツメヤシの主産地イラクがその中心をなしている。インドやマレーシアなどでは、原料に米、ココヤシ、ヤシの樹液などを用い、ブルボン家ではサトウキビを原料にした。日本では江戸時代にオランダから渡来し、阿刺吉、阿刺基などと呼ばれ、蛮語とみなされていた。スペインでは arac, erraca, ポルトガルでは araca, araque, orraca, rac などとして知られている。
典拠:「イスラム事典」(株)平凡社, 1992年
宮千代加藤内科医院(仙台市)のホームページ