東京都の「フッ化物応用の手引」について


 2003年、厚生労働省はむし歯予防のためのフッ化物洗口を推奨する「フッ化物洗口ガイドライン」を通達しました。各都道府県では児童・生徒を対象としたフッ化物洗口を実施していく上でのマニュアル、ガイドブック等の発行が続いています。
 
 そのようなマニュアル、ガイドブック等の中から、問題点を抜き出して取り上げてみたいと思います。

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 まず最初に、今年(2003[平成15]年)3月に発行されたばかりの(財)東京都歯科医師会編集、東京都健康局医療政策部医療政策課発行、眞木吉信東京歯科大学教授監修による「フッ化物応用の手引−フルオライドA to Z−」から取り上げたいと思います。

◆古いデータでフッ化物応用の必要性を強調
 
 東京都の手引きでは、「第1章 いま、なぜフッ化物応用か」の「Aヘルスプロモーションとフッ化物応用」以下に「(1) 日本と世界のう蝕有病状況」という項があります。ここで1995年にWHO(世界保健機関)がまとめた世界の12歳児の1人平均う歯数(DMFT指数)と、1990年に国際歯科連盟(FDI)がまとめた年間1人当たりの砂糖消費量及びフッ化物配合歯磨剤の市場占有率を合わせて一覧にして掲載しています(p5)。それが下記の図1です。
 
 図1では日本の12歳児のDMFT指数(1人当たりの平均むし歯数)が4.9と諸外国に比べて2倍程多く、また、フッ化物配合歯磨剤の市場占有率も20%と低いことがわかります。

図1 12歳児のDMFTの高低と年間1人当たりの砂糖消費量及び
フッ化物配合歯磨剤市場占有率との関係
 
12歳児のDMFTの高低と年間1人当たりの砂糖消費量及びフッ化物配合歯磨剤市場占有率との関係

 図1を見ると、日本が依然としてむし歯大国であるかの印象を与えますが、この図1で示されているデータは古いものと言うべきでしょう。この4.9というWHOのデータは、日本の厚生省(現、厚生労働省)の1987年の歯科疾患実態調査に基づいていると考えられます。図2に平成14(2002)年度の文部科学省による学校保健統計調査の12歳児のDMFT指数、また2002年のフッ化物配合歯磨剤の市場占有率(出典:(財)ライオン歯科衛生研究所)をそれぞれ載せました。新しいデータと古いデータとでは、あたかも国が違うかの如く、大きな違いがあります。
 
 なぜ新しいデータがあるにもかかわらず、古いデータを持ち出すのでしょうか。調査が厚生労働省と文部科学省の違いはありますが、同じ厚生労働省のデータであれば1999年のデータ(12歳児のDMFT指数=2.44)があるはずです。「いま、なぜフッ化物応用か」とか「日本と世界のう蝕有病状況」を取り上げるのならば、これだけ新旧のデータで異なる訳ですから、「最新」のデータを用いるべきでしょう。
 
 下図は当方でまとめた、12歳児のDMFT指数(1人平均むし歯数)の経年変化を示したものです。これを見れば分かる通り、年々減少が続いています。このデータは、むし歯予防のための追加的な措置の必要性が相対的に低下している事を示していると言えます。

12歳児のDMFT指数の経年変化(1人平均むし歯数)

※出典: 厚生労働省:歯科疾患実態調査

文部科学省:学校保健統計調査

新潟県:小児う蝕実態調査(小児の歯科疾患の状況)

 このように減少傾向が続いているにもかかわらず、東京都の手引きでは更に同じように「各国の12歳児のう蝕の推移(1967〜83年)」と題したデータを使用しています(p11)。

各国の12歳児のう蝕の推移(1967〜83年)

 諸外国のむし歯が減少している中、唯一「日本」だけが増加しています。減少傾向が顕著になる80年代中頃以降のデータが抜け落ちているためです。2003年に発行された東京都の手引きに20年前の1983年までしか記録の無いデータ、しかも現状とかけ離れた、むし歯が増加しているかの印象を与えるデータが使われているのです。
 
 また、次のような解説の後に、下記の図表も掲載されています。

 【東京都の「手引」 p10 より】
 
 ヨーロッパう蝕研究学会(ORCA)は1990年、世界主要国における12歳児のDMFT指数を公表7)しました。図8はこの内容を示したものですが、全体をう蝕の罹患傾向から4群に分けています。DMFT指数2.5未満を低度(low)、2.5以上4.5未満を中等度(moderate)、4.5以上6.0未満を高度(high)、そして6.0以上を高高度(very high)とする分類です。
 これによれば、デンマーク、マルタのDMFT指数1.6を筆頭に、オランダ、米国、フィンランド、スイス及びスウェーデンの7か国はDMFT指数2.5未満の低度分類のう蝕の少ないグループでした。一方、我が国は4.9であり、旧西ドイツとともにう蝕罹患の高いグループに分類されました。
 
 7) ORCA: Caries Research , 24: 381-396, 1990.

12歳児のDMFT指数の国際比較

 図表中の赤く着色した所は、原図に当方が追加した2002年の文部科学省のデータです。1999年の厚生労働省の歯科疾患実態調査のデータ(2.44)を用いても、う蝕の罹患傾向は「低度(low)」ということになります。

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 2003年に発行された東京都の手引きにこのような古いデータ、図表が使用されているのは問題です。
 
 もっとも、この180ページ余りの東京都の手引きを詳しく読むと、最近のデータも無いわけではありません。しかし、これまで指摘したように、古いデータを用いた図表などを引用しているため、現状を反映しない「過去のデータ」が前提となって説明がなされたりして、読者をミスリードしかねない内容となっています。特に視覚的に分かりやすく、印象が強く残る「図表」に古いデータを用いている箇所が複数あるのは問題です。
 
 そもそも、新たなむし歯予防策の導入は、むし歯が深刻な問題である時、導入の必要性は最も高く、問題が小さい時には、当然、導入の必要性は低くなります。導入の可否は、現状がどのような状況にあるかを知る事から始まるはずです。これまで指摘してきたような古いデータを用いて、例えば20年前のデータを持ち出して、20年後の2003年現在、それを根拠にフッ化物洗口の導入を推奨するのが適切な事と言えるのか、疑問に思わざるを得ません。医療行為や施策に「科学的根拠(エビデンス)」が強調されている昨今、このようなことが見過ごされてはならないと思います。
 
 東京都の「手引き」は、東京都から東京都歯科医師会が委託されて編集しました。監修はフッ化物応用に関する専門家である東京歯科大学の眞木吉信教授が当たっています。
 
 歯科の専門家が編集したものにここで指摘したような古いデータが使われているのは実に不可解なことで、特に最新の情報を入手しうる立場にあり、フッ化物応用の専門家である大学教授が「監修」に当たっていながら、このような古いデータを用いられているのは問題と言わねばなりません。
 
 フッ化物の使用を推進している人達がその必要性を殊更強調せんがために急速に減少しているむし歯のデータを意図的に隠していると、そのように思われてなりませんが、少なくとも、専門家として、そのような疑念を持たれないように、出来るだけ最新のデータを用いるなど、専門家としての責任を果たすべきだと思います。

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 なお、東京都健康局の出版物、つまり東京都民へ向けた「手引き」であるにも関わらず、東京都民の歯科データが載っていません。
 
 下記の表「平成13年度 3歳児一人平均う歯数(dft指数)」の都道府県別のデータを比較すると、3歳児では、東京都は全国でも最もむし歯が少ないということが分かります。

平成13年度 3歳児一人平均う歯数(dft指数)

 上記のように、全ての都道府県別のデータが無いので簡略に記しますが、国際的に一つの指標年齢となっている12歳児のむし歯(う蝕経験歯数)について、学校保健統計調査による「全国データ」と「東京都のデータ」でも比較してみました。

中学生(12歳児)のDMF歯数の全国平均と東京都のデータ比較
 

年 度 全 国 東京都
  平成11(1999)年度     2.92     2.45  
平成12(2000)年度 2.65 2.25
平成13(2001)年度 2.51 2.39
平成14(2002)年度 2.28 1.93


 少なくとも、過去数年間は全国平均よりも少なく推移していることが分かります。
 
 東京都は恐らく全国で最もむし歯の少ない自治体の一つと考えられますが、それは即ち、追加的なむし歯予防施策(フッ化物洗口や水道水フッ化物添加)の必要性の最も低い自治体の一つと考えられるということです。
 
 その東京都民に対して、むし歯がより多い全国平均のデータを持ち出すことも躊躇されるときに、まして、古いデータを持ち出してフッ化物洗口などのフッ化物応用の必要性を説くのは問題だと思います。

 

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加藤純二/宮千代加藤内科医院

 

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