東北地方太平洋岸の巨大地震・津波を予見し警報を出していた「三賢人」


 

(1) 河野幸夫先生(東北学院大学・前教授)  日本経済新聞 2011年8月11日(水曜日)文化欄

 東日本大震災で最も多くの方が亡くなった仙台湾岸では、遺族らが初盆の慰霊祭に足を運んでいる。この海辺に住む人々が今、注目しているのが、今回の大災害とそっくりな平安時代の貞観地震・津波だ。私はこの869年の天変地異で仙台湾の海底に沈んだという島の伝説を追い続けてきた。
 大根島と呼ばれた島の沈没伝説は、宮城県七ヶ浜町花渕浜と、松島湾内にある塩釜市浦戸諸島の寒風沢島、桂島などに残る。沈んだ島の神様、大根明神に素潜り漁の男らが太平洋上からアワビを投げ入れてささげる祭りが今でもあり、今年も大変な苦労をして船を出し神事を絶やさなかった。    

  大根明神の祠発見

 私が教壇に立つ東北学院大学工学部は多賀城市にある。かつて宮城県の県名の由来とされる国府が置かれ、津波にかかわる歌枕「末の松山」の地も近い。清和天皇からの三代を記す古文書「日本三代実録」によると、貞観津波で多賀城では今回同様、多数の犠牲者が出た。
 私の専門は水撃圧による配管破断の研究で、自然に津波にも関心を持った。そして13年ほど前、実際に伝説の海底を見たいと思い立ち、50歳近くになって必死にダイビングの訓練にいそしんだ。大根島があったと土地の人が信じる海域は松島湾南方の太平洋上にある。その海に1999年から計100回ほど潜り、大根明神の遺跡である祠を水深10〜15メートル付近で2つ見つけた。東と西の明神で伝説と同じだ。
 階段状の人工物、木の化石もある。周囲より極めて浅い岩礁で、かつて島だったと推察できる。今回の地震でも仙台湾の多数の小島が1メートルほど沈下し、海上部分が半分になったものもある。本当に地震で島は沈むのだ。
 大根の海底遺跡は10世紀初めの延喜式神名帳の名神大社とされた由緒ある七ヶ浜の社、鼻節神社と関係が深い。太平洋に臨む境内には大根大神の小さな祠が2つ残る。ここは人気アニメの舞台ともいう。奇妙にも鼻節神社の古い参道は海中に向かい、途中で急に切れる。地元には「古道の階段は海中に続き、大根島に行ける」との伝承がある。
 

  花渕の漁師、全員無事

 伝説は今回の津波で生かされた。花渕浜の漁師らは「大地震と津波では島が沈むほどで、とにかく逃げるしかない」と肝に銘じてきた。実際、花渕の漁師は一人も亡くなっていない。いち早く高い丘に逃げたのだ。
 10日、大根の海底遺跡に震災後、初めて3人のダイバーと潜った。津波で船も家も失った漁師が苦心して船を借り、調査を手伝ってくれた。海底の岩礁は震動と波で少し 崩れているが、ほぼ形状 を保っていた。ただ水の透明度が低く、祠を確かめるには至らなかった。
 それにしても菅原道真らが編さんした「曰本三代実録」の正確さには驚く。読み取れるのは貞観津波が今の宮城県から福島県相馬市まで100キロ以上の海岸線に押し寄せ、内陸に7キロメートルも入り込んだ点。今回の大津波と同じだ。869年の前後、日本各地で地震があり、京の都も頻繁に揺れていたこともわかる。
 我々は仙台平野の掘削調査や炭素測定で9世紀の大津波の痕跡を見付けた。自ら確かめた海底遺跡、地層と古文書の記述を突き合わせると、現代の地震・津波との強い関連性が見えてくる。日本列島では今、まさに9世紀に起きた天変地異が繰り返されている。2000年以降に起きた三宅島の噴火、新潟県中越地震、岩手・宮城内陸地震……。古文書は9世紀にほぼ同じ噴火や地震があったと記す。9世紀に発生して今世紀に起 きていないのは富士山や鳥海山の噴火ぐらいだ。
 

  大津波を予測

 火山・地震活動が活発だった9世紀との類似という視点を持って各地で観測を進めると、ある程度、地震予知が可能かもしれない。私としては地震前に変化する地電流の観測に期待を寄せて、研究を行っている。
今年2月25曰に私は塩釜市内のホテルで講演した。「いつか大津波がこのホテルにも押し寄せる。遅くても2040年までに」という内容だった。実際には2週間後、ホテルは水に浸かった。  海底を何度も見た私にとって今回の津波は「想定外」ではない。とてつもない大地震・津波が千年に一度、必ずあり、既に貞観から千年以上、経つていたのだから。
 こんな大津波は防波堤で防げるはずもなく、ひたすら高所に逃げるしかない。15年間の研究でわかったのは、現代人は過去の知恵の詰まった古文書、伝説が示す教訓を踏まえるべきだという事実だ。

   『末の松山』1 『末の松山』2 『末の松山』3 『末の松山』4 『末の松山』5  

 

  (動画)松島湾の海底遺跡

 

    
  イオン多賀城店の津波の様子      塩釜港の津波の様子

 

    
  南蒲生汚水処理場から       南三陸町(旧志津川町)


  

(2) 飯沼勇義先生(元公立学校教諭) 河北新報 2011年4月5日(火曜日)

  

(3) 渡辺先生

  

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