未成年者飲酒・喫煙禁止法
と根本正


「未成年者飲酒禁止法の成立の背景」

 以下は平成13年10月6日(土)、茨城県那珂郡那珂町の中央公民館で行われた根本正生誕150周年記念式典・シンポジウムにおいて話した時の原稿です。

 「私は主に根本正先生が熱心に取り組んだ禁酒運動に的を絞ってお話をさせていただきたいと思います。その要点は三つあります。一つ目は私が根本先生のことを知ったきっかけ。二つ目はなぜ根本先生が禁酒運動や未成年者飲酒禁止法の制定に取り組んだのかということ。三つ目は、この法律の現代的な意味です。
 
 まず一つ目です。昭和63年が未成年者喫煙禁止法と未成年者飲酒禁止法が制定されてからそれぞれ88年目と66年目に当るというので、これら二つの法律の存在意義を再認識しようという「88・66運動」という運動が行われました。「青少年育成国民会議」という団体がパンフレットを作って全国的に配布しました。たまたまそれを読んだのが、私が根本正先生という政治家を知ったきっかけでした。88−66=22、つまり未成年者飲酒禁止法に20年以上かけて根本先生が取り組んだということの理由を知りたかったのです。
 
 次に二つ目の未成年者飲酒禁止法の制定、禁酒運動への先生の取り組みのことです。根本正先生は明治31年3月、初当選で代議士になりました。代議士になるとすぐ国民教育授業料全廃建議案を提出します。これは次の議会で翌年2月に可決されています。根本先生はこの年、明治32年の12月には未成年者喫煙禁止法案を提出し、その時の議会で可決させました。そしてこの法律は翌年4月に施行されました。そしてその翌年、明治34年2月に未成年者飲酒禁止法案を提出しました。しかしこちらの方は反対にあい、以後、合計19回の提案を繰り返し、実際には23年かかって大正11年3月に可決されました。
 未成年者飲酒禁止法の方は提案を毎年のようにあまりにも何回も繰り返したので、他の議員からも地元支持者からも疑問の声が出ました。皮肉、軽蔑、非難、これらに先生はひるむことがありませんでした。この間の帝国議会の議事録を読んで感じたことは、何が先生をしてかくも長い戦いをさせ、かつそれに耐えさせたのかという疑問でした。
 根本先生の妻・徳子はキリスト教婦人矯風会に所属し、飲酒問題などの社会問題に、やはり熱心に取り組んでいました。晩年、根本正先生は「未成年者飲酒禁止法は妻の徳子の強い後押しがあったからできた」と言っています。他にも、いろいろな要因があったと思います。当時、大企業による日本酒の大量生産が拡大し、日清、日露の戦争があり、政府は戦費調達のため日本酒、どぶろくですが、自家醸造を制限しました。自分の家でどぶろくを造ることが密造とされたのです。同時に大企業が造る日本酒の値段を引き上げていきました。日露戦争の直前、国庫収入の実に約39%が酒税による収入でした。酒、日本酒、つまり清酒ですが、値段が非常に高くなったのです。今の感覚では1升が1万円から2万円くらいした計算になります。3日で1升なら、1月に10万円から20万円の酒代がかかるのでは、一般家庭で家計がもつはずはありません。飲酒が即、貧困と結びつきやくなったという社会的背景があったと思います。当時の貧困と男尊女卑の社会で、飲酒の弊害は娘の身売りや、あめゆきさんやからゆきさんのような女性を海外にまで移民とともに大量に送り出したのです。根本正先生夫婦は共にそのような悲惨な実例を見聞きしていたと思います。
 また彼の粘り強さには、彼が幼少年期に、水戸の激しい政治的闘争を体験したことも関係あるのではと思います。また欧米の議会制度が、やはり血みどろの戦いの中で形成された人類の知恵であり、海外での留学生活の長かった先生はそれを知っていて、議会における論戦と法律の制定ということに、情熱をかけたのではないかと思います。
 根本正先生がついに未成年者飲酒禁止法を成立させたもう一つの社会的背景として、米国での禁酒運動の盛り上がりと禁酒法の制定という米国での運動の成果があります。しかしこの米国の禁酒法は大正9年に制定され、わずか14年で廃止になってしまいました。あまりに理想主義的な禁酒法が、ギャングによる不法な密輸による利益を生み出し、ギャングを太らせる結果を生んだのです。根本先生は未成年者飲酒禁止法案の成立に努力していたころ、議会でこんな風に述べています。「日本では完全な禁酒法は無理である。せめて子供たちだけでも酒に害があることを知らせたいのだ。」このような根本先生の現実的な立法の精神によって、この法律がいまだに存続しているのだと思います。
 
 最後に三つ目のテーマ、この未成年者飲酒禁止法の現代における意義です。少し、医療の領域のお話になります。現代の日本ではアルコール依存症は入院患者数で常時約2万人、大量飲酒者、つまりアルコール依存症の予備軍200数十万人、飲酒による社会的損失は金額にして年間6兆円になるという研究報告があります。
 アルコール依存症は私がアルコール依存症の問題に関心を持ち始めたころ、15年くらい前ですが、まだ中年以上の男性、つまり50才代、40歳代の病気でした。しかし現在、アルコール依存症になる人々の平均年齢は30歳代、20歳代へとだんだん低年齢化しています。最近の若者の飲酒問題によって、ますますこの法律の重要性が再認識される結果になっています。昨年、この法律の罰則が強化されたことはご存知だと思います。行政側もこの法律を積極的に運用しようとしています。80年前の法律が死んでいないのです。
 先生はいろいろな業績を残されましたが、現代にも通じる普遍性のある問題にねばり強く取り組みました。その代表的なテーマが飲酒問題だと思います。未成年者飲酒禁止法に限らず、先生の業績の時空を超えた普遍性には驚きます。私の調べ得たことには地元の資料が少なく、まったく新しい先生の業績も顕彰会の方々によって掘り起こされていることを知りました。今後、さらに顕彰会を中心として先生の足跡が考証され、それが発表されることによって、先生の後継者がこの那珂町、水戸、茨城県から次々と育っていくことを信じております。」

  

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