「根本正(ねもとしょう)ってどんな人?」



 
根本 正
憲政記念館にある顕彰額

(以下は根本正という政治家について、未成年者飲酒禁止法を作った人という観点からまとめたものです。)

 はじめに

 「未成年者飲酒禁止法」は大正11(1922)年3月に帝国議会で成立した法律です。この法律案が初めて衆議院に提出されたのは明治34(1901)年2月のことで、成立まで計19回の法案提出が繰り返されました。衆議院で可決され、11回貴族院へ送られたものの、審議未了か否決となり成立しませんでした。この間、議会内外での中傷・冷笑・反対にも屈せずこの法案の提出を繰り返したのが、茨城県選出の衆議院議員・根本正(ねもとしょう)という人でした。

 生い立ち

 彼は嘉永4(1851)年、水戸に近い五台村(現在の那珂町)に百姓の子として生まれました。水戸藩には『大日本史』を編纂する「彰考館」という役所があり、そこの総裁・豊田天功という学者が百姓出身で親戚であったので、12歳でその家僕となりました。当時、水戸藩では改革派(天狗党)と保守派(諸生党)とが藩政の主導権を争い、武力対決と報復処刑が続き、維新の戦争前後に藩内で約五千人の犠牲者がでました。豊田天功が病死すると、後を継いだ小太郎が暗殺され、根本正は職を失いました。彼は、洋行帰りの人から時計とマッチを見せられて驚き、西洋の学問を学ぼうと決心して、明治4(1871)年、東京へ出ました。そして人力車夫や巡査をしながら、中村正直という学者の私塾「同人社」で英語やキリスト教を学びました。28歳の時に渡米し、10年後バーモント大学を卒業して、明治23(1890)年に帰国しました。

 彼の選挙

 明治31(1898)年、3回目の出馬で第5回総選挙に当選、以後連続当選10回、大正13(1924)年5月の総選挙で落選して政界を引退するまで、主として政友会に所属し活躍しました。彼は地元支持者に議会報告書を送るくらいで、みずからは選挙運動をせず、支持者の有志が無報酬で選挙運動をやり、選挙違反者は1人も出しませんでした。

 義務教育の普及と未成年者喫煙・飲酒禁止法

 彼は代議士になるとすぐ明治32(1899)年、「国民教育授業料全廃の建議」、「義務教育国庫補助法案」を提出し、可決させ、以後一貫して義務教育の普及と充実のための立法に尽力しました。そして義務教育の無料化に対する、子供の側の責務的な規範として、未成年者の喫煙・禁酒を法律化しようとしました。まず明治33(1900)年、「未成年者喫煙禁止法」を提出。これはその議会で比較的容易に成立しました。ところが翌年に提出した「未成年者飲酒禁止法」は衆議院で否決され、以後その成立にあしかけ23年をかけることになりました。

 当時の酒造と酒税の状況

 江戸時代の酒造は各藩の株制度によってその製造が統制されていました。明治政府によってこの株制度が廃止されると、全国各地に多数の小規模の酒造業がおこりました。醸造技術の進歩、鉄道の発達、飲酒習慣の普及などによって、大手の酒造業者による日本酒の大量生産と消費量の増大がはじまりました。
 一方、政府は日清戦争、日露戦争などの戦費を調達するため、タバコの専売制度を作るとともに、酒類の自家醸造を制限・禁止(明治32(1899)年)し、酒税を段階的に増額していきました。それで、日露戦争前の明治35(1902)年には、国税に占める酒税は、明治期の最高の38.6%をしめるまで増加し、地租や所得税をしのぐ、最大の財源となりました。

 当時の飲酒問題と禁酒運動

 飲酒習慣が普及し、酒の値段が高くなると、庶民は家の外で酒を飲むことがむずかしくなり、「晩酌」という日本独特の酒の飲み方が発達しました。また酒の密造や、飲酒による経済的な生活破綻の問題がでてきました。飲酒による生活破綻やそれに関連する女子の身売りなどが、社会問題化すると、主としてキリスト教徒による「禁酒運動」が活発になり、根本正は「日本禁酒同盟」の副会長になり、会長の安藤太郎と組んで、全国にこの運動を広めました。日本禁酒同盟は大正9(1920)年に、全国240支部、会員数約2万人を持つまで発展し、未成年者飲酒禁止法案の成立を国会の外から応援しました。
 米国で1919(大正8)年「禁酒法」が成立し、翌年発効すると、日本の帝国議会の貴族院も「未成年者飲酒禁止法案」を可決・成立させました。ところが、米国の法律は、酒の「製造・輸入・販売」など一切を禁止したもので、かえってギャングに不法な利益を与えるなどの弊害が起こり、14年後の1933(昭和8)年に廃止になりました。根本正が作った日本の法律は、未成年者に限って飲酒を禁止するもので、罰則は監督責任のある親と、未成年者と知りつつ酒を売った販売者に対してついています。

 その他の政治的業績

 なお、根本正代議士は他に、1)中南米移民の促進、2)国語調査会(現在の国語審議会の前身)の設置、3)ローマ字調査審議会の設置、4)教科書の国定化に反対、5)利根川の治水工事の促進、6)高層気象台(茨城県谷田部町)の設置、7)水戸〜郡山を結ぶ「水郡線」の建設、などの政治的業績を残し、昭和8(1933)年1月、83歳で永眠しました。

  

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