根本正の生きた時代:年表
( ):総選‥第 回衆議院選挙、第○議会‥第 回帝国議会
年 号(西暦) | 根本正、禁酒運動関係 | ○日本、◎海外 | ||
天保 1(1830) | ○ | 水戸藩主徳川斉昭、藩政改革に着手 | ||
天保 3(1832) | ○ | 天保の大飢饉(〜1836)、各地で打ちこわし | ||
天保 8(1837) | ○ | 大塩平八郎の乱、藤田東湖『弘道館記』を起草 | ||
天保11(1840) | ◎ | 阿片戦争始まる(〜1842) | ||
天保12(1841) | ○ | 幕府、天保の改革を始める(5月) 水戸弘道館開設(8月) | ||
天保13(1842) | ○ | 薪水給与令を出し、打払令(1825)を緩和 | ||
弘化 1(1844) | ○ | 幕府、斉昭に謹慎を命ず(甲辰の国難、5月) | ||
嘉永 4(1851) | ・ | 根本正、茨城県五台村に生まれる(10/9) | ○ | 米国メイン州で禁酒法成立(6月) |
嘉永 6(1853) | ○ | ペリー艦隊が浦賀に来航(6/3) | ||
安政 2(1855) | ○ | 安政大地震(10/2)、藤田東湖死す | ||
安政 5(1858) | ○ | 井伊直弼、大老就任(4/23) | ||
○ | 日米修好通商条約(6/19) | |||
○ | 条約締結に不満の勅諚、水戸藩などへ下る(8/8) | |||
○ | 安政の大獄始まる(9/7) | |||
安政 6(1859) | ○ | 斉昭国許永蟄居、藩士ら死罪(8/27) | ||
○ | J・C・ヘボン神奈川に着く(10/18) | |||
万延 1(1860) | ・ | 神主の塾に学ぶ(9歳) | ○ | 桜田門外の変(3/3) |
○ | 斉昭水戸城にて死去(8/15) | |||
文久 1(1861) | ◎ | 米国で南北戦争始まる(4/12〜1865) | ||
文久 2(1862) | ○ | 坂下門外の変(1/15) | ||
○ | ヘボン横浜へ移る(12/29) | |||
文久 3(1863) | ・ | 豊田天巧の家僕となる(12歳) | ◎ | 米国で奴隷解放宣言(1/1) |
元治 1(1864) | ・ | 豊田天巧死去(1/22) | ○ | 武田耕雲斎ら天狗党、筑波挙兵(3/27) |
○ | 天狗党、加賀藩に降伏(12/17) | |||
慶応 1(1865) | ・ | 豊田小太郎暗殺さる | ○ | 武田耕雲斎、藤田小四郎ら処刑さる(2/4) |
慶応 2(1866) | ○ | 徳川慶喜、15代将軍となる(12/5) | ||
慶応 3(1867) | ・ | 水戸藩南御郡方の役人となる(16歳) | ○ | 大政奉還(10/14) |
・ | 徳子生まれる(4/17) | |||
明治 1(1868) | ○ | 鳥羽・伏見の戦(1/3〜4) | ||
○ | 榎本武揚ら艦船で品川を脱走(8/19) | |||
○ | 明治と改元(9/8) | |||
○ | 榎本軍、五稜郭を占領(11月) | |||
明治 2(1869) | ・ | 諸生党の処刑を見る | ○ | 榎本武揚ら降伏(5/18) |
明治 4(1871) | ・ | 上京して三叉学舎に学ぶ(20歳) | ○ | 『西国立志編』出版される |
○ | 廃藩置県(7/14) | |||
○ | 文部省、学制取調掛11名を任命(12/2) | |||
明治 5(1872) | ・ | 中村正直の私塾に入る | ○ | 学制公布(8/3) |
○ | 新橋〜横浜間鉄道開業式(9/12) | |||
明治 6(1873) | ・ | 中村正直、同人社を開校(2月) | ○ | キリスト教禁制の高札を撤廃(2/24) |
・ | J・カックラン来日 | ○ | 征韓派敗北(10/24)、西郷隆盛ら参議辞職 | |
明治 7(1874) | ・ | 郵便局の雇として神戸に赴任 | ○ | 板垣退助ら、民選議員設立建白書を提出(1/17) |
○ | 日本帝国電信条例(9/22) | |||
○ | 恤救規則制定(12/8) | |||
明治 8(1875) | ・ | 横浜に禁酒会できる | ○ | 酒類税則制定(2月) |
○ | 東京気象台設立(6/1) | |||
○ | 讒謗律・新聞紙条例(6/28) | |||
○ | 煙草税則(10/4) | |||
明治 9(1876) | ・ | 横浜に住吉町教会できる | ○ | 廃刀令(3/28) |
○ | 札幌農学校開校(8/14)、クラーク初代教頭となる | |||
明治10(1877) | ・ | 横浜局へ転任、判任官となる | ○ | 西南戦争(2/15〜9/24) |
・ | ヘボン塾、バラ学校で学ぶ | |||
明治11(1878) | ・ | 洗礼を受ける(5月) | ○ | 黒田清隆の妻死去を団団珍聞が書く(3/28) |
○ | 大久保利通暗殺さる(5/14) | |||
明治12(1879) | ・ | 渡米(3月、28歳) | ◎ | ガーフィールド大統領となる(3/10、銃撃7/2) |
・ | オークランド市の小学校へ入学(4月) | ○ | 教育令制定(9月) | |
明治13(1880) | ○ | 酒造税則(9月、自家醸造の制限開始) | ||
明治14(1881) | ・ | ホプキンス中学校へ入学 | ○ | 国会開設の詔、明治14年の政変(10/12) |
○ | 自由党結成(11/9) | |||
明治15(1882) | ○ | 植木枝盛ら酒屋会議を開く(5/10) | ||
○ | 煙草税則公布(12/27) | |||
明治17(1884) | ○ | 加波山事件(9/23) | ||
○ | 自由党解党(10/29) | |||
○ | 岩谷商会「天狗タバコ」発売 | |||
明治18(1885) | ・ | バーモント大学へ入学(34歳) | ○ | ハワイ移民が始まる、飢饉 |
・ | レビット夫人来日(六月)、巡回禁酒講演 | ○ | 黒田清隆、清国へ(3/6) | |
明治19(1886) | ・ | 横浜に横浜禁酒会が再組織される | ○ | 教科用図書検定条例公布(5/10) |
・ | 安藤太郎、ハワイ総領事となる | |||
・ | 東京婦人矯風会創立(12/6) | |||
明治20(1887) | ・ | 札幌禁酒会できる | ○ | 後藤象二郎、大同団結運動を起こす |
・ | 美山貫一ハワイへ(9月) | |||
明治21(1888) | ・ | ハワイ島日本人禁酒会できる(4/7) | ○ | 黒田清隆内閣(4/30) |
明治22(1889) | ・ | バーモント大学卒業(6/26、38歳) | ○ | 大日本帝国憲法公布(2/11) |
・ | 欧州へ(9月)・安藤太郎帰朝(10月) | ○ | 板垣退助、愛国公党結成(12/19) | |
・ | 根本正帰朝(11月) | |||
明治23(1890) | ・ | 東京禁酒会設立(3/29) | ○ | 愛国公党、立憲自由党となる(9/15) |
・ | ミス・アッカーマン来日、巡回禁酒講演(5月) | ○ | 教育勅語を発布(10/30) | |
・ | (1) 総選 (7/1) 落選 | ○ | 第@議会 (11/25〜1991/2/28) | |
・ | 愛国公党の政務調査委員となる | |||
・ | 徳子と結婚(9月) | |||
・ | F・ビリングス氏死去(9/30) | |||
・ | 東京禁酒会で安藤会長、根本副会長体制ができる(11月) | |||
明治24(1891) | ・ | 美倫生まれる(5/23) | ○ | 村井兄弟商会「サンライス」発売 |
○ | 第A議会(11/21〜12/25)で田中正造が足尾鉱毒問題で質問書 | |||
明治25(1892) | ・ | ウエスト嬢来日、巡回禁酒講演、金沢にて死去12月) | ○ | (2)総選で死者負傷者多数 |
○ | 第B特別議会で予算案の妥協成立(6月) | |||
○ | アメリカンタバコ会社が横浜支店開設 | |||
明治26(1893) | ・ | 移民地調査のためメキシコへ出発(7/7) | ||
明治27(1894) | ・ | (3)総選(3/1、落選) | ○ | 日清戦争宣戦布告(8/1) |
・ | 中南米視察へ出発(7/16) | |||
明治28(1895) | ・ | 視察旅行から帰国(3/6) | ○ | 下関条約調印(4/17) |
・ | 『フレデリック・ビリングス伝』発行(5/21) | ○ | 三国干渉(4/23) | |
明治29(1896) | ・ | 北米、中南米の商工業視察に出発(7/4) | ○ | 進歩党の結成(3/1) |
○ | 酒造税法、葉煙草専売法公布(3/28) | |||
明治30(1897) | ○ | 榎本大臣、足尾鉱毒事件調査委員会設置(3/24) | ||
○ | メキシコ移民始まる(5/18) | |||
明治31(1898) | ・ | (5)総選(3/15、初当選、47歳) | ○ | 第K特別議会(5/14〜6/10) |
・ | 国民教育授業料全廃の建議(解散で討議なし) | ○ | 自由党と進歩党が憲政党となる(6/22) | |
・ | 日本禁酒同盟の結成(10/1) | ○ | 第L議会(12/3〜1899/3/9) | |
明治32(1899) | ・ | 国民教育授業料全廃建議案(2/15可決) | ○ | 自家醸造を禁止(1月) |
・ | 小学校国庫補助法案を提出(2/18、公布10/3) | ○ | 新通商航海条約の締結で紙巻きタバコの輸入著滅(5月) | |
・ | インド、ビルマの商工業視察(5月) | ○ | 第M議会(11/20〜1900/2/23)・未成年者喫煙禁止法案提出(12/6)、施行(1900/4/1) | |
明治33(1900) | ・ | 美術奨励の建議(2/8) | ||
・ | 国字国語国文改良の建議(2/9) | |||
明治34(1901) | ・ | 未成年者飲酒禁止法初提案(2/9) | ○ | 田中正造が天皇直訴(12/10) |
・ | 史談会国庫補助に関する建議(3/21) | |||
・ | 国民教育及び鉄道客車に関する質問書(12/19) | |||
明治35(1902) | ・ | 普通教育教科書中憲政の要旨編入の建議(3/6) | ○ | 教科書疑獄事件で検挙始まる(12/17) |
・ | 輸入原料砂糖戻税法案 | |||
・ | 工業試験所に板硝子製造工場設置に関する建議案 | |||
・ | 未測の海岸及び水路の測量完成に関する建議案 | |||
・ | 貧民救助などに関する建議案 | |||
明治36(1903) | ・ | 教育及び行政に関する質問書(5/16) | ○ | 小学校教科書国定化決定(4/13) |
・ | 災害地地租免除に関する法律案他二件委員長 | |||
・ | 大日本帝国水難救済会国庫補助に関する建議(共同提案,委員長,5/24) | |||
・ | 国定関税に閑する建議(5/28) | |||
明治37(1904) | ・ | 国定教科書に関する質問書(3/29) | ○ | 日露戦争(2/10〜) |
○ | 煙草専売法公布(4/1) | |||
明治38(1905) | ○ | 旅順陥落(1/1) ○ポーツマス条約調印(9/5) | ||
明治39(1906) | ・ | 公立幼稚園の保母に恩給を与える法律案(成立) | ○ | 『大日本史』完成 |
・ | 私設鉄道法中改正案(否決) | |||
明治40(1907) | ・ | 商科大学設立の建議(2/16) | ○ | 義務教育を6年に延長(3/21) |
・ | 小学校教員待遇に関する質問書(3/16) | |||
・ | 小学校教員退隠料及び遺族扶助料法の改正案(3/19) | |||
明治41(1908) | ・ | 三女直子死去(6/25) | ○ | 戊申詔書発布(10/13) |
明治42(1909) | ・ | 予算案に対する代表質問(教育基金について) | ||
・ | 南米航路賛成演説(2/14、3/21) | |||
・ | ローマ字普及の建護(3/18) | |||
・ | 市町村立小学校教育費国庫補助法中改正法律案の委員長 | |||
・ | 小学校教科書用図書に関する建議(3/18) | |||
・ | 衆議院議員選挙法中改立法律案提出 | |||
・ | 町村制中改正法律案(共同提案) | |||
・ | 長男美倫死去(8/26) | |||
明治43(1910) | ・ | 帝国学制案を提出(3/15) | ○ | 千糞・茨城で漁船遭難、溺死多数(3/12) |
・ | 水郡鉄道建設の建議案提出(年末) | ○ | 韓国を併合(8月) | |
明治44(1911) | ・ | 小学校教員優待の質問書(1/21) | ||
・ | 在外国売淫婦取締法制定の請願を紹介(3/15) | |||
・ | 次男正次死去(9/7) | |||
大正 1(1912) | ○ | 明治天皇死去(7/30) | ||
大正 2(1913) | ○ | 山本内閣 (2月、第1次) | ||
大正 3(1914) | ・ | 大隈内閣に敷設延期につき質問書 | ○ | 島田三郎シーメンス事件で政府攻撃(1月) |
・ | 衆議院食堂で酒類販売止める(2月) | ○ | 柳田國男、貴族院書記官長に就任(4/13) | |
○ | 第2次大隈内閣(4/16) | |||
◎ | 第1次世界大戦(7/28〜1918) | |||
大正 4(1915) | ○ | (12)総選(3月)、政友会大敗 | ||
大正 5(1916) | ○ | 大隈首相辞表(10/4)、寺内正毅内閣 | ||
大正 6(1917) | ・ | 安藤記念教会献堂式(9/15) | ||
大正 7(1918) | ○ | 市町村義務教育国庫負担法公布(4/27) | ||
○ | 米騒動(8/3〜)波及 ○原内閣(9/29〜) | |||
大正 8(1919) | ・ | 水郡線建設始まる | ○ | 政友、憲政両派の対立激化(11月) |
・ | 「国民禁酒同盟」(青木庄蔵会長)が独立 | |||
大正 9(1920) | ・ | 「日本国民禁酒同盟」 (12月改組) | ◎ | 国際連盟発足(1/10) |
◎ | 米国で禁酒法発効(1/17) | |||
大正10(1921) | ・ | 中国、満州、朝鮮を旅行(9月) | ◎ | ワシントン会議(11/12〜) |
大正11(1922) | ・ | 未成年者飲酒禁止法成立(3/25)、施行(4/1) | ○ | 第(46)議会(12/25〜1923・3/25) |
・ | 政友合脱退(6月) ・学生排酒連盟(10月) | |||
大正12(1923) | ・ | 日本学生排酒連盟(6月)改名 | ○ | 関東大震災(9/1) |
大正13(1924) | ・ | (15)総選(5/10落選)、政界引退 | ◎ | 米国で排日移民法成立(5/26) |
・ | 安藤太郎死去(8/27) | |||
大正14(1925) | ○ | 治安維持法(4月) ○普通選挙法(5月)公布 | ||
昭和 1(1926) | ・ | 日本少年禁酒軍の再創設 | ||
・ | 「25歳未満禁酒法」期成同盟の結成 | |||
昭和 2(1927) | ・ | 水郡線、常陸大子まで開通 | ○ | 金融恐慌おこる(3月) |
昭和 3(1928) | ○ | 第1回男子普通選挙(2/20) | ||
昭和 4(1929) | ◎ | 世界恐慌始まる(10月) | ||
昭和 5(1930) | ・ | 常陸大子にて銅像除幕式(12/7)、『微光八十年』出版 | ||
昭和 6(1931) | ・ | 「皇室の御慶事と禁酒の問題について」を配布 | ○ | 満州事変おこる(9/18) |
昭和 7(1932) | ○ | 5・15事件(政党政治終わる) | ||
昭和 8(1933) | ・ | 東京の自宅にて死去(1/5、82歳) | ○ | 日本、国際連盟脱退(2/24) |
◎ | 米国で禁酒法廃止決定(12/5) | |||
昭和 9(1934) | ・ | 水郡線、水戸〜郡山全線開通(3月) | ||
昭和10(1935) | ◎ | 米国でAA創始さる(6/10) | ||
昭和18(1943) | ・ | 妻徳子死去(11/30) | ||
昭和25(1950) | ○ | 山室武甫、禁酒新聞にAAを紹介 | ||
昭和26(1951) | ・ | 『生誕百年、根本翁を偲ぶ』出版 | ||
昭和28(1953) | ○ | 禁酒同盟、「断酒友の会」を発足 (9月) | ||
昭和33(1958) | ○ | 高知で断酒会結成さる (11月) | ||
昭和36(1961) | ○ | 酔っぱらい防止法が成立(施行7/1) | ||
昭和38(1963) | ○ | 国立久里浜病院にアルコール専門病棟できる | ||
昭和41(1966) | ・ | 『光をかかげた人−根本正伝』出版 | ||
昭和44(1969) | ・ | 常陸大子駅前に二度日の銅像建立さる | ||
昭和50(1975) | ○ | 日本でAAが始まる | ||
昭和63(1988) | ・ | 「88・66キャンペーン」行なわれる |
■参考
『禁酒之日本』(禁酒同盟出版部)
『日本の禁酒運動史年表』(岩倉病院、杉浦勝先生発行)
ほか
宮千代加藤内科医院(仙台市)のホームページ