このホームページの分室の部分を読んで 下さった方々、
特に群馬県民の方々へ

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。以下は小生から皆様へのメッセージです。

 フッ素(フッ素元素を含む無機化合物)は第二次世界大戦前の 米国でその虫歯予防効果が報告され、米国政府から歓迎され、すぐ公共の水道水に添加され始め、その施策は世界中に広まりました。 ヨーロッパではその安全性や有効性や水道水に加えることに疑問が呈せられ、中止される国々が多かったものの、 いまだに米国を中心にその事業は推進されています。

 米国では、厚生省、米国歯科医師会、その他の主要行政機関、そしてWHO(世界保健機構)、国際歯科連盟 もその事業を推進し、日本でも厚生労働省、日本歯科医師会、特に日本口腔衛生学会では フッ化物応用研究委員会が中心になって推進し、練り歯磨き製造・販売企業やその他の関連企業がそれを応援しています。 「フッ素は虫歯を防ぐもの」という常識はテレビや新聞などで宣伝され、すでに強く、広く常識として確立しているように思われます。

 その強い常識に反対してフッ素(フッ化物)の安全性や有効性に疑問 を呈することは、米国歯科関連学会やWHOや日本の厚生労働省や学会や歯磨き製造・販売企業など すべてを敵に廻さざるを得ず、孤独な戦いを強いられます。 群馬県には村上徹先生という歯科医師(医学博士)がいて、そのような戦いを続けてこられました。 そして今また、群馬県の南牧村という小さな村の保健師さんが、この事業に疑問を 呈したため、配置換えになり、免職となりました。

 その原因をはっきり言えば、フッ素応用を計る近隣の歯科医師会の歯科医(や 保健センターの所長など)が村に圧力をかけ、村がそれに応じたからだと思います。 同様な例は他の地域の保健師や学校の養護教諭に今までもありました。楠保健師さんが 他の方々と違うのは、彼女がそのような圧力に抗して訴訟を起こし、抵抗する姿勢を明か にしたことです。

 小生は群馬県の風土には不撓不屈の 精神を育てる何かがあるような気がしてなりません。(県をとりまく、高い山々 がその地の人々に理想主義を育てるのかもしれません。)かつて足尾銅山による渡良瀬川の鉱毒汚染が起こった時、代議士・田中正造 は最後の最後まで政府や銅山企業と戦って死にました。安中の教会の牧師であった柏木義円は、国中が戦争へと突入しつつある時、 一人、「非戦」の論陣を張り、逮捕・発禁の処分にも筆を折ることはありませんでした。

 現在、活躍中の村上先生に対して、小生が評を加えることは無礼なことかも知れませんが、 世の常識に逆らっても、学会のフッ化物応用を推進 する学者らから罵詈雑言を浴びせられようとも、その戦いを止めようなどという気配 は見られません。それどころか、世界中に友人を作り、度々海外に出かけられ、 フッ化物応用に反対する世界の活動家の間では日本を代表する中心(センター)になっています。田中正造や柏木義円の時代に比べれば、それだけ日本の民主化が進んだとも 言えるかも知れませんが、村上徹先生は田中正造、柏木義円 に匹敵する大変な学識と勇気と努力の人だと思います。

 民主主義とはヨーロッパの先進国で、血みどろの革命の繰り返しの中で 打ち立てられた政治システムです。日本では、民主主義は戦後、米国など占領国によって 与えられた接ぎ木のようなシステムです。大衆が敗戦によって虚脱状態にあるとき、 マッカーサーの多数の通達によって古い封建的政治体制に接ぎ木されたようなものだと思います。

 小生の悪いクセで、話が別の方角にそれましたが、言いたいことは、この問題に限らず、「お上 のやることに疑いを持たず、何でも黙って従っていていいのか」ということです。園児や小学生を持つ父母の皆さんが、保育園や幼稚園や小学校でフッ化物洗口を始めるということを聞いた時、せめて 自分で情報を集め、自分でそれを検討して欲しい。疑問を感じたら、学校側、歯科医に質問してほしい。それが民主的社会のやり方だと思います。小生はフッ素問題は大きな「ニセ科学」だと捉えています。「お上」を正すのに「水戸黄門」の出現を待つのは、 封建時代の意識です。楠保健師のことでは、推移を見守ってほしい、そして、できる範囲で少しでも支援してほしいと思います。

 田中正造が苦しい闘いを続ける中、潮田千勢子(キリスト教婦人矯風会)という女性は東京から繰り返し 鉱毒被害の地を訪れ、その地域で子どもらを援助し、孤児を東京に連れて行き、育てました。彼女は彼女に出来うることを精一杯したのでした。地味なことでしたが、これが田中らの闘いをどれだけ勇気づけたか計り知れません。残念なことに彼女は58歳(明治36)で胃癌で死亡しました。彼女の葬儀の時、田中は「わが友の 死は死にあらで その神の 生きてそのまま ありと思へば」という和歌を捧げています。鉱毒地に住む人々は彼女の顕彰碑を渡良瀬川の河畔 に建て、それは今もひっそりと民家の庭先に保存されています。

 またまた小生の悪いクセで、話が別の方向にそれました。己が真実と信ずることに忠実であることのみ眼中にあれば、 困難は大きくとも、それは覚悟の上。このホームページを読んでくれた方々 に支援をお願いすることも無用なのかも知れません。まして我々は、馬に乗った官憲 に蹴散らされる訳でもなし、特高警察に逮捕される訳でもありません。論争が可能で、 裁判という論争の場が、一応は用意されているのですから。(2/6/2008)





 

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