「健康日本21と適正飲酒十ヶ条」


(参考;健康日本21「アルコール」は厚生労働省のHPにでています。
「適正飲酒十ヶ条」は私のHPにあります。)

 アルコール医療に関わる医師仲間から、厚生省が最近、「健康日本21」というビジョン(案)を発表し、その中に「アルコール」が取り上げられていることを聞いた。インターネット上でも発表されているというので、早速読んでみた。読んだ感想は、当然なことが書かれていて、実はそれが驚きであった。

 ご存知のように、日本にはアルコール健康医学協会が流布してきた「適正飲酒十ヶ条」というのがある。「適正」という看板の後ろには「十ヶ条」という非常に狡猾な、酒類業界に媚びた概念がある。この団体(社団法人)は、会長が精神科医の斉藤茂太氏で、酒類業界がスポンサーであり、厚生省と国税庁が後援し、その理事には大蔵省(国税庁や経済企画庁)や厚生省の役人が出向・天下りしてきた。

 「健康日本21」のようなごく当然な考え方が長らく行政から出てこなかったのに、なぜ今になって出てきたのだろうか。これは、薬害エイズ裁判、介護保険制度に関連した岡光汚職事件、それに米国でのタバコ訴訟、フランスにおけるアルコール政策の転換など、厚生省をとりまく国内・国外の情勢が、今までのような大企業との癒着体制を許さなくなってきたことの現れではないかと、私は思っている。しかしこの「健康日本21」は案であり、修正される可能性もあるという。やはりいち早く、酒類業界が圧力をかけた。

 酒類業界の反応

 「日本醸造公論」という業界新聞(平成11年11月13日)によると、酒類業中央団体連絡協議会は、丹羽雄哉・厚生大臣へ意見書を送ったという。その骨子は以下のようなものであり、それについての小生の感想も記した。(明朝体部分業界の主張で、――のあとのゴシック体部分がそれへの小生の感想である。)

1.平成5年、公衆衛生審議会精神保健部会アルコール関連問題専門委員会が取りまとめた「今後におけるアルコール関連問題予防対策について」において述べられている「酒の効用・有用性」を完全に無視していますが、この数年の間に、同報告の内容を覆すような変化が生じているとは、全く考えられません。酒は古来より「百薬の長」といわれ、……酒の効用とマイナス両面を踏まえ、広く一般国民が納得できるバランスのとれた取りまとめを行う必要があります。

――酒の効用・有効性を厚生省が宣伝する必要はないと思います。業界が納得できる取りまとめとは何でしょう。今までの「適正飲酒十ヶ条」こそが業界を納得させるアンバランスでかつ非科学的なものだったのではないでしょうか。平成11年、山形市で行われたアルコール関連問題学会では、「適正飲酒十ヶ条」は止めるべきだという意見が多く出ました。

2.「アルコール総消費量抑制がアルコール関連問題の抑制につながる」としていますが、アルコール関連問題を抑制するに、それぞれの問題について解決策を個別に講じることが重要であり、「総」消費量抑制という考え方は、問題解決には結び付かないと考えます。

――アルコールの消費量が増えてもアルコール関連問題が増えない方策があるのでしょうか。フランスでは1992年から、アルコールの総消費量の抑制に政策を転換しています。(それでフランスのワイン業界は輸出に積極的になっており、その標的が日本であると言われています。)米国におけるタバコ政策も総消費量の抑制です。飲み過ぎによる会社欠勤、飲酒による交通事故、暴力沙汰、アルコール依存症への医療費、飲酒問題が原因の生活保護など福祉予算へ、酒類業界が資金や研究費の提供を欧米並みにしてきたなら、業界の言うことは納得できます。しかし上記のような問題に対して業界は、それは「個人の問題」として、逃げるのです。

3.適正飲酒量は個人が自己規制により決定すべきものであり、「1日当たり1合以上飲酒する人を減少させる」というような目標設定は削除すべきであり、「問題のある飲酒を減少させる」ことを目標とすべきであると考えます。

――習慣的飲酒量と健康(心筋梗塞の発生率や寿命)との相関関係については、それがいわゆるJカーブを描くことが報告されており(あくまでも相関関係であり、因果関係ではないのですが)、飲酒量は日本酒にして約1合がいいらしいという意見には科学的根拠があります。根拠がうすい「適量は2、3合」などという表現こそ止めるべきです。また酒類業界が「1合は困る。2、3合へ」とあからさまに言うと、業界の「多く売れればいい、他のことは関知しない」という姿勢がむきだしになり、国民や医療関係者の失笑を買うでしょう。

4.引き続き適正飲酒の考え方の啓発普及に努めていくべきであり、この用語を変える必然性は全くない。

――この用語(適正飲酒十ヶ条)がいかに酒類業界にとって好都合なものだったかを示しています。

5.酒は致酔性を持つ点では、他の食品と異なるものの、食品の一つとして極めて日常的、一般的なものであり、それを「持っているだけで違反となる麻薬」と同次元で議論しようとする姿勢は、極めて偏った一方的なものと考えざるを得ません。このような食品の取り扱いについては、一般消費者をはじめ、文化人等幅広い意見を聴取して、審議・検討すべきものであり、特定の医療関係者による議論のみによっては、到底国民的共感は得られないものと考えられます。

――「健康日本21」はアルコールが「他の依存性薬物の入り口としての危険性を有する」と述べているだけで、「持っているだけで違反となる麻薬と同次元のもの」とは書いてありません。問題はむしろアルコールを「食品の一つ」であるとみなすことでしょう。
 ビール酒造組合は「健康日本21」に対する同様の批判を厚生省に対して出しています。この組合の会長(瀬戸雄三氏)を出しているアサヒビール株式会社は、昨年、ビールを酒でなく水(ウオーター)と印象づけようとし、新商品「ビア・ウオーター」を売り出し、多数の消費者団体の抗議を受けました。しかしそれでも平気で売り続けていることを忘れてはいけないと思います。(注;平成12年3月31日、ビアウオーターは製造中止。)


 アルコール健康医学協会と適正飲酒十ヶ条

 適正飲酒十ヶ条はアルコール問題市民協会の記録(『アルコールシンドローム』23号)にあるように、平成3年の国際専門家会議で批判され否定された概念です。その会議で、アルコール健康医学協会の斉藤茂太会長と酒造業界の代表者の発言は、海外からの参加者に戸惑いを生み、「日本ではアルコール業界との協力体制ができているようだが、その功罪は?」という質問が出たり、「日本はお金持ちの国だと聞いているが、厚生省は企業からの支援がなければ独力でこの会議を開く力がないのか?」などという声が聞かれたという。

 現在、準備中の介護保険の必要性を長く訴え続けてきた現・大阪大学教授の大熊一夫先生は、かつて『ルポ精神病棟』というベストセラーを出版したことでも有名です。その本は、アルコール依存症の精神科医療の立ち後れを大きなテーマにしています。本のあとがきには、斉藤茂太氏(日本精神病院協会常務理事)のコメントとそれへの反論がのっています。

 斉藤氏は「たとえばある新聞の精神病院攻撃である。書くほうは、精神病院をやっつければ、病院が向上すると考えている」と述べ、それに対し大熊先生は、「(斉藤氏が言うように)新聞が病院をほめると患者が三発なぐられていたところを二発でかんべんしてもらえるのか、と苦笑もしました」と述べています。

 一方、斉藤氏のアルコール関係の著書には、アルコール依存症の回復や自助グループに関する記述はほとんど見あたりません。アルコール依存症は否認を大きな特徴とする軽症から重症まで幅の広い病気です。そしてアルコールによる身体的障害の背後にも、アルコール依存症が隠れていることが多いのです。適正飲酒十ヶ条はアルコール依存症の人々の否認を助長する困った概念なのです。(詳しくは『宮城県医師会報』605号などを参照。)

 斉藤氏は精神科医でありながらアルコール健康医学協会の会長として適正飲酒十ヶ条を流布しました。これは日本のアルコール医療史の汚点であると小生は考えます。

 また正しい診断・治療を受けるか受けないかの差異は、この病気への認識の低い医療機関への入院・退院を繰り返している人々と、自助グループへつながった人々とを比較観察していれば一目瞭然です。メンバー2,3人の小さな断酒会でも、経済効果は、年間数百万円を下らないでしょう。それは、メンバーが断酒する事によって、医療費を節約したり、生活保護を受けなくなったり、さらには仕事に復帰したりするからです。厚生省は真の国益を計るべきで、それは酒類業界の利益とは異なるのです。

 心配なことは、「健康日本21」のアルコール分科会の委員に、適正飲酒の提唱者の一人が含まれていることです。審議経過と原案がどのように変更されるのか、皆で注目していましょう。

(全国断酒連盟の機関誌「かがり火」へ投稿したもの。平成12年1月。)

 

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