WHOのテクニカルレポート846
日本語翻訳版の誤訳問題に関する報告
本稿は、「WHO(世界保健機関)テクニカル・レポート・シリーズ 846『フッ化物と口腔保健』の日本語翻訳版の誤訳問題」の続報です。あらかじめ前記サイトをご覧下さい。本稿の内容は2004年11月23日、日本フッ素研究会で発表しました。
1.はじめに
WHOの専門委員会(Expert Committee on Oral Health Status and Fluoride Use)がまとめたテクニカルレポート(WHO Technical Report Series 846 “Fluoride and Oral Health”)1)の日本語翻訳版「フッ化物と口腔保健 −WHOのフッ化物応用と口腔保健に関する新しい見解−」2)については、出版以来、幾つかの誤訳が指摘され、問題とされてきた3)。
例えば、わが国で推進されているフッ化物洗口について、英文の原典レポートでは「フッ化物洗口は6歳未満の子どもについて禁忌である。( Fluoride mouth-rinsing is contraindicated in children under 6 years of age.)」とあるにも関わらず、日本語翻訳版では「フッ化物洗口は6歳未満の子供には処方されない」(12.6-6)、「フッ化物洗口は6歳未満の子供たちには用いるべきではない」(14-15)などと許容的な表現に訳されている。
誤訳について、本来ならば口腔衛生学会などの関係学会で問題にされて、訂正などの適切な処置がとられるべきところ、一部で誤訳が問題にされながら、出版社、監修者、訳者らは適切な対応をして来なかった。
そこで、これまで一部の誤訳については問題が指摘されてきたものの、全体的に詳細な検証がなされることが無かったことから、2003年、日本に関わりの少ない一部を除き、検証作業を行った。この件に関するWHOへの連絡、さらに監修者らへの公開質問書送付についても報告する。2.日本語翻訳版の検証と経緯
WHOのレポートはフッ化物洗口を「6歳未満は禁忌」としているが、しかし、わが国では4歳児の未就学児から推奨されている4)。先に記した日本語翻訳版の記述はわが国の推進派にとって都合の良いように許容的な表現へと歪曲され、しかも、日本語翻訳部分には原典には無い「フッ化物洗口の適応年齢は,通常6歳以上を目安とするが,6歳未満の小児でも洗口が上手にできればその限りではない。」と訳注が付記されている。これを正すために後述する様に、WHO本部に連絡をとった。
そもそも日本語翻訳版には数多くの理解に苦しむ記述があり、英文の原典レポートと照らし合わせて読まざるを得なかったので、ある程度、誤訳が存在することは認識できたが、WHOに適切な対処を求めるために、誤訳箇所をリストアップすることにした。
検証作業を進めると当初想像もしなかったほど数多くの誤訳が見つかった。この検証作業は、過去に日本フッ素研究会のメンバーが指摘してきた数十カ所、また薬害オンブズパースン会議メンバーで翻訳書出版経験もある元大学教員の指摘した40箇所余を参考にしつつ、まとめた。
紙幅の関係で本稿で日本語翻訳版の誤訳箇所を紹介することは出来ないが、誤訳と考えられる箇所は検証した部分だけで200箇所を越えた。日本と関わりの少ない部分が未検証である事を考えると、どの程度の厳密性をもって判断するかにもよるが、250箇所近くになるのではないかと思われる。
この検証作業をまとめたものはインターネット上に公開してあるので参照されたい5)。
因みに、日本語翻訳版の「序にかえて」において高江洲氏は、「訳出に当たって,原文に忠実で正確を期すようにした」と記している。3.誤訳を正させる取り組み
3−1.WHO(世界保健機関)への連絡
2003年5月、WHOのDepartment of Health Promotion, Surveillance, Prevention and Management of Noncommunicable Diseases (NMH/HPM) で Oral Health Programme の責任者を務める Poul Erik Petersen 氏宛に日本語翻訳版に誤訳問題があることを電子メールで伝え、適切な処置を取るよう求めた。しかし1ヶ月以上経っても回答を得る事ができず、7月に再び同様のメールと、5月にメールを送った旨を記して回答を求めたが、回答を得る事は出来なかった。
Petersen 氏宛に2度目のメールを送った7月初旬、WHOの代表メールアドレス宛てに事の要旨を記し、担当部局・責任者へのメール転送を依頼するメールも発送した。数日後、WHOの Office of Publications の D.W. Bramley 氏から「もし詳細な情報を送ってくれたら(翻訳)出版社に掛け合う」旨のメールを受け取り、誤訳を検討した資料を後日お送りすると伝えた。11月に入り、日本語翻訳版の誤訳箇所を指摘した資料を前記 Bramley 氏に送り、11月の中旬になって同氏から「私からも出版社に対して貴殿が指摘した誤訳箇所について検討するよう連絡する」とのメールが届いた。なお、Bramley 氏と連絡がついた7月から11月まで当方の対応に時間がかかったが、これは想像もしなかった程、誤訳箇所が多く、時間がかかったためである。
Oral Health Programme の Petersen 氏へメールを何度も送付したにも関わらず回答を得ることが出来なかった事は残念な事であったが、因みに後日分かった事であるが、同氏は当方が誤訳問題に関してメールを送った2003年5月から遡る事1ヶ月程前の2003年4月18日に東京歯科大学水道橋校舎血脇ホールにて “Global Trends in Oral Health and Health Care” と題して講演していた。この講演会の世話人代表は日本語翻訳版の監修者である高江洲義矩東京歯科大学名誉教授が担当した6)。当方がPetersen 氏宛に送った1信、2信とも、日本語翻訳版が高江洲氏の監修によるものであることを記していた。
なお、原典の英文レポート中に“the Gulf States”という記述があるが、この“the Gulf States”について、「ペルシャ湾岸諸国」のことか「メキシコ湾岸諸州」の事か尋ねるメールを知人に依頼して、Petersen 氏の同じメールアドレス宛に尋ねて貰ったが、直ぐ返答があった事を付記しておく。(日本語翻訳版には“the Gulf States”は「メキシコ湾にのぞむアメリカの諸州」と訳されている。)3−2.監修者らに公開質問書を送付する
フッ化物応用に関わる学者ら専門家の健全な相互批判による誤訳の適正化は期待が薄いと考えられたので、2004年1月19日付で諸団体等連名の公開質問書を出版社と監修者宛てに送付した。
2004年1月19日
一世出版株式会社 御中
高 江 洲 義 矩 殿
WHO(世界保健機関)のテクニカルレポート
日本語翻訳版の誤訳に関する公開質問書貴社がWHO(世界保健機関)より翻訳権を取得され、1995年に出版された「フッ化物と口腔保健 −WHOのフッ化物応用と口腔保健に関する新しい見解−」に関して、出版以来、幾つかの誤訳が指摘され、問題となってきました。この度、私どもは日本語翻訳版が適切に翻訳されているか、原著作物である“Fluoride and Oral Health”(WHO Technical Report Series 846, 1994) と照らし合わせて検証しました。その結果、数多くの誤訳と考えられる箇所が見つかりました。詳細は添付の資料に示した通りです。
英文の原著作物は1994年に出版されましたが、2004年現在、WHOの専門委員会(Expert Committee)の見解をまとめたものとしては最新のレポートであり、未だに影響力の大きい出版物であると考えられます。当該翻訳版において「一世出版はその翻訳に関してのすべての責任を負うものとする」とありますが、この数多くの誤訳を含む翻訳版について下記の質問にお答え頂きますよう、お願い申しあげます。質 問
1. 添付資料に示した通り、当該翻訳版には数多くの誤訳がありますが、このことについてどのように考えておられるのかをお答え下さい。 2. 既に述べた通り、当該テクニカルレポートはフッ化物応用に関するWHOの専門委員会の見解をまとめたものとしては最新のものです。未だに大きい影響力を持つと考えられますが、出版社として、どのような責任・対応をとられるか、お答え下さい。 上記2項について、2004年2月16日迄に文書にてご回答下さいますようお願い致します。
以 上
2004年2月16日付で高江洲氏より下記の返答が届いた。
東京歯科大学
Tokyo Dental College1月19日付の書面『WHO(世界保健機関)テクニカル・レポート・シリーズ846「フッ化物と口腔保健」の日本語版・誤訳問題』拝見いたしました。
回答ご指定の日が2月16日までとのことですが、当方の業務の都合により2月25日とさせていただくことをお許し願います。高江洲義矩
(上記のFAX画像) 2月25日までに回答が来るものと考えていたが、残念ながら、高江洲氏自身が提示した期限までに回答が来ることは無かった。下記は2004年4月26日時点で日本語翻訳版の出版社である一世出版株式会社とのやり取りをまとめた経過メモである。
1月19日 事務所より一世出版と高江洲先生に公開質問書を送付
2月下旬 一世出版よりTELあり
「高江洲先生が海外出張のため,戻り次第相談して回答する」
3月25日 事務所より一世出版へ回答時期確認のFAX送信
3月25日 一世出版よりFAX着
「高江洲先生は帰国されましたが,異動のため引越があり,
それが終わり次第回答されるとのことです。」
4月26日 本日現在,回答なし公開質問書を送付してから4ヶ月経ち、回答を得ることが出来ず、下記を一世出版株式会社宛てに送付した。
FAX 発信票 平成16年5月11日(火)午前10時50分 発信票含1枚
一世出版株式会社 御中
(FAX省略)WHO(世界保健機関)のテクニカルレポート<フッ化物と口腔保健>
日本語翻訳版の誤訳に関する公開質問書の件平成16年1月19日付でお送りした上記公開質問書につき,貴社より3月25日付で,高江洲先生が異動のため引越があり,それが終わり次第回答するとのFAXをいただきましたが,いまだにご回答をいただけないでおります。
質問書をお送りしてから既に4ヶ月近く経過しておりますので,5月20日を最終期限とさせていただき,この日までにご回答をいただけない場合は,ご回答の意志なしと見なし,他団体やマスコミに経緯を公表したいと思いますので,その旨ご通知申し上げます。(上記のFAX画像) 2004年5月19日付で高江洲氏より下記のFAXが届いた。
FAX送付状 WHO(世界保健機関)のテクニカルレポート<フッ化物と口腔保健>
日本語翻訳版の誤訳に関する公開質問書の件本年1月19日付の「日本語翻訳の誤訳に関する公開質問書」の件につきまして、ご回答することがたいへん遅れていますことに深くお詫び申し上げます。
一世出版株式会社からも5月20日を最終期限とするとの転送通知をいただいております。私が身辺の変動があり、その他の業務のため心ならずも貴殿へのご回答が遅れましたことに大変申し訳なく思っております。
5月20日は最終期限とのことで、それはそれで了承いたしますが、私の考えでは一世出版とも再三打ち合わせをして翻訳改訂の可能性を進めております。
最終期限はそれとして、私の方では必ず近日中にご回答する所存でおります。
取り急ぎお返事まで、高江洲義矩
(上記のFAX画像) 高江洲氏自身が「必ず近日中にご回答する所存でおります」としていたために再度、回答を待つことにしたが、それから5ヶ月経過した2004年10月末現在、未だに回答は無い。質問書を送付してから9ヶ月が経過している。
◆参考資料◆
1) WHO Technical Report Series 846 “Fluoride and Oral Health”, Report of a WHO Expert Committee on Oral Health Status and Fluoride Use, World Health Organization, Geneva, 1994. 2) 「フッ化物と口腔保健 −WHOのフッ化物応用と口腔保健に関する新しい見解−」:日本語監修:高江洲義矩(東京歯科大学 教授), 訳:眞木吉信(東京歯科大学 助教授),杉原直樹(東京歯科大学 講師), 一世出版株式会社, 平成7年. 3) 「あぶない!フッ素によるむし歯予防Q&A[増補]」:高橋晄正, 日本フッ素研究会編著, 労働教育センター, p239-241 , 2001年. 4) 就学前からのフッ化物洗口法に関する見解:口腔衛生学会フッ化物応用研究委員会, 口腔衛生学会誌, 46: 116-118, 1996. 5) 宮千代加藤内科医院のホームページ:誤訳問題に関するページ 6) 口腔衛生学会のホームページの掲載情報.(保存画像)
宮千代加藤内科医院(仙台市)のホームページ